当院の鎮守は開山から昭和の始めまで山号の起りである熊野神社であったが、現在は豊川稲荷が鎮守として祀られている。昭和二年(一九二七年)二十五世中興大仙覚道(堂)大和尚の嗣鈴木天晃大和尚(二十六世)が愛知県豊川市の円福山豊川閣妙厳寺で修行したことにより豊川稲荷の分霊所を設置することが認可された。
妙厳寺は曹洞宗の古刹であるが、日本三大稲荷の豊川稲荷の名で広く知られ、豊川町は妙厳寺の門前町であり、吒枳尼天を祀っている。鎌倉時代の嘉吉元年(一四四一年)の開創で、以後、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康などの帰依を受け、藩政時代には商売繁盛の神として庶民からも信仰されるようになった。
当院では勧請したころは稲荷講をつくり、幅広く布教したが、現在は元朝参り祈願、五穀豊穣、商売繁盛、長壽安穏、家内安全など吒枳尼天の万能霊力をもって訪れる人々に祈祷を施す。
年中行事として吒枳尼天の縁日は毎月二十二日。稲荷さんの縁日は毎年二月の初午の日。寺容が整い、恒例の春・秋大祭の復活も間近と思われる。