『安永風土記書出』

安永年間(1772~81)に仙台藩が各村に提出させた書出で、当時を知る一級資料。その中に当院についての記述が残されている。

磐井郡西磐井郷前堀村 曹洞宗熊野山長泉院
一、開山之事 當寺ハ當郡一関村願成寺五世梅洲和尚永正十二年(一五一五)二月開山二付、當安永四年(一七七五)迄二罷成申候事
一、故事来歴之事 當寺ハ葛西西御家臣小野寺左馬之丞と申者之開基ニ御座候由、右墓所併ニ位牌共ニ有之位牌之裏ニ左之通書 付御座候事
     奉寄進三角畠爲夫婦長泉院者也
    右之通相印置申候処三角畠唯今ハ何方ニ候哉相知不申候事
一、本山併末寺之事 本山ハ當郡一関村白馬山願成寺ニ御座候 但末寺無御座候事
一、古キ什物之事
  一  本尊 虚空蔵 一體(木佛坐像 御長四寸 但作者相知不申候事
一、古キ墓所之事
  一  墓所 一ツ 小野寺左馬之丞ト申者墓所之由申伝候事
一、開山より當住迄歴代之道号実名之事
  開山 梅洲秀芳 二世 堅叟榮固
    (以下略)  當住十二世 皷山泰林
安永四年七月 

とある。 また、長泉院のなかに羽黒派自性院を別当とする修験の熊野社修験道場があった。同書の中に、
一、道場 当時大破ニ付右間敷御書上不仕候事
一、本尊 不動明王 木佛立像 御長一尺三寸

とあり、当院はこの神社の名称熊野社より当院の山号名がつけられたと伝わる。本尊の不動明王は現在も長泉院に祀られている。